―就農されたきっかけ、またこれまでの経歴を教えて下さい。
私は学校を卒業後、菊池に1年間農業研修に行き、その後就農しました。
父の時から農耕用として牛を飼っており、自分が就農してから繁殖用として頭数を増やしました。一番多い時は9頭いました。30年間は働きにも行きながらでしたので、大変でしたが妻と2人で頑張ってきました。
―勤めながら牛を飼うのは想像するだけでも大変だなと、頭が下がる思いです。現在は母牛を3頭飼っていらっしゃるということですが、1日のお仕事の流れを教えて下さい。
朝5時頃起きて牛小屋の掃除をし餌をやって、朝ごはんを食べます。午前中は牧草を刈ったり作ったり作業をして、昼食。お昼休みをして夕方4時頃から牛を運動場に出し、小屋の掃除をして6時ごろから餌やりをします。1日2回は牛小屋の掃除をしますよ。
セリ前は当然ですが、夏場は3日に1回は牛の体を洗います。
―牛を飼う上で大変なこと、苦労されたこと、つらかったことは何ですか?
牛を死なせた時が一番つらいです。そのときは「もうやめよう」と思いますが、次に子牛が生まれた時「やっぱり頑張ろう」と思いますね。なかなかやめられません(笑)
牛は人間みたいに物を言わないですから、注意して見ておかなければなりません。もうだいたいわかるようになりました。
―では牛を飼っていて良かったこと、嬉しかったことは何ですか?
(子牛が)高く売れた時は嬉しいですね。天草で1番高値がついた時は、『だんこえ(糞)』を運ぶ時も軽く感じます(笑)もう何回か1番をとりました!
―心がけていることや工夫していることは何ですか?
詳しいことは企業秘密ですが、母牛の発情を見逃さない事ですね。それと子牛の病気を見逃さない事。1頭かかればすぐ移ってしまうので怖いです。
―病気と言えば、今年宮崎県で口蹄疫が発生しましたが、心配されましたよね?
はい、心配しました。家の中までしっかり消毒しました。家の周りは石灰で雪降ったように真っ白。隣の家は農家ではないのですが、理解があって「うちまでまいてください」と言って下さったので隣の家までまきました。
病気が発生してしまった時はしかたないと思いますが、それを外に出さない・移さないようにすることも心配しました。
―今年の目標を教えて下さい。
今は母牛を3頭飼っていますので年間3頭(子牛を)出荷しますが、いつも最高値をねらっています。
最高値といえば、佐伊津ではセリの後反省会をしますが、そのなかで最も高値がついた人がビール1ダースを出すようになっています。これからも出せるように頑張ります。
―これからの夢はなんですか?
元気な間は牛を飼いたいですね。今年は金婚式を迎えます。お互い体に注意しながら出来る限り牛を飼いたいと思っています。
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