新和町
〜志岐城主を悼む〜
麟仙宮
新和町大多尾地区には志岐城主の“志岐麟仙”を奉った麟仙宮と呼ばれる神社があります。
天正十七年におきた天正の天草合戦で、小西軍勢の攻撃が激しくなるにつれ、志岐軍の不安は募っていきました。志岐氏から援軍を求められていた“島津義虎”は数千の兵を率いて、数十隻の船に織巾を立て、獅子島の島陰で策を張りました。それを、志岐軍では敵の大挙襲来と誤り、打つ手なしと悟り、無念の涙を呑んでこの地で自刃しました。志岐氏の死を悼んだ家臣や村人たちは、土佐平の大地(新和町大多尾)に墓地を定め、石棒で棺を運びましたが、六尺(180cmくらい)の志岐麟仙の巨体を乗せた石棒は折れてしまったそうです。今でもその辺りは“石棒”と呼ばれています。
現在でも、麟仙氏を軍の神、農耕の神として、旧8月15日を祭日と定め奉っています。
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